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歴史年表

(平成17年1月 作成)
西暦 和暦 政治・経済 宗教・文化 自然災害
742 天平14     大隅国で震動(霧島山噴火?)
788 延暦7   噴火により狭野社焼失 3/4、御鉢噴火
837 承和4   霧島岑神、官社に昇格  
847 承和14   天台僧の円仁、宝光院を開く。  
858 天安2   霧島神、従五位上から従四位下に昇格  
927 延長5   『延喜式』に「諸縣郡一座霧嶋神社」とある  
935 承平5 この頃、諸縣郡春野郷に所属    
941 天慶4     霧島山噴火
959 天徳3   天台僧の性空、修行のため霧島山に入る  
966 康保3   性空、霧島東神社を建立(社記)  
1112 天永3   噴火により錫杖院・神徳院などの社寺焼失 2/3、霧島山噴火
1167 仁安2   噴火により狭野の西生寺焼失 霧島山噴火
1184 寿永3     霧島山噴火
1234 文暦1   噴火により社寺焼失 12/28、霧島山噴火
1307 徳治2     11月、霧島山・大浪池が鳴動
1409 応永16   島津久豊、霧島六所権現社に知行10町を寄進  
1486 文明18   真言僧の円政、島津忠昌の命により、錫杖院を復興  
1510 永正7   十輪院の聖諭、霧島山で21日間参籠  
1524 大永4 北原氏、北郷忠相に対抗するため、高原に城を築く    
1533 天文2   後川内奥で庚申碑が建てられる  
1543 天文12   神徳院の舜恵、島津貴久の命により、麓の鎮守社に狭野の仮宮を建立  
1545 天文14 稲津豊前、地頭となる    
1551 天文20 北原氏の支配下になり、白坂式部太夫が地頭となる    
1554 天文23     霧島山噴火(〜1555)
1563 永禄6   島津貴久、初めて霧島六所権現社で「御くじ」を引く  
1564 永禄7 この頃、伊東氏の支配下に入る    
1566 永禄9     9/9、霧島山噴火
1571 元亀2 伊東氏、高原に番兵を置き島津氏に対抗する 神徳院の頼存、狭野社遷宮式を行う  
1573 天正1   王子権現社、野火により焼失源則武、屋敷野・越に供養碑等を造立  
1574 天正2   王子権現社の御神体9柱が作成される 霧島山噴火
1575 天正3 鎌田刑部少輔、地頭となる 霧島で「大宝の注連」が建てられ、神楽が舞われる  
1576 天正4 出水・菱刈・大口などから移住有り島津義久、高原城を攻め落とす 華林寺の頼継、霧島社内で「私之立願」を行い神楽などを催す 霧島山噴火(〜1578)
1577 天正5 上原長門守尚近、地頭となる    
1578 天正6 薩摩国蒲生より移住者有り    
1581 天正9 吉田若狭、地頭となる    
1582 天正10 花堂に地頭仮屋設置(〜1644)    
1583 天正11 山田理庵、地頭となる    
1585 天正13 白川・松岡・本田・赤碕・吉井・瀬之口・麦山・白坂・平良氏、高岡郷へ移る   霧島山噴火
1586 天正14 新納旅庵、地頭となる
松下・大堂・伊集院等から移住有り
   
1587 天正15 諸県郡、島津久保に与えられる 島津義弘、霧島権現に米を寄進 霧島山噴火
1588 天正16     霧島山噴火
1589 天正17 小森江介・谷川金兵衛、畑酉池堤で上意討ちに遭う
島津義久、上洛の途中で花堂村の田口十郎右衛門屋敷に宿泊
   
1590 天正18 山田理庵、地頭となる    
1591 天正19   鳥集対馬守、広原池の原に庚申碑を造立  
1592 文禄1 東霧島、高原領内に入る   霧島山噴火、天の逆鉾破損
1594 文禄3 高原・小林郷から須木へ160名移住    
1596 慶長1   神徳院の宥淳、加久藤で法華経一千部を読誦  
1597 慶長2 入木院又六、地頭となる   霧島山噴火(〜1600)
1598 慶長3      
1599 慶長4 徳永淡路兄弟、川添壱岐殺害の罪により、鳥井原で切腹
池平・黒瀬戸・瀬戸尾に遠め番屋設置
   
1600 慶長5 関ヶ原の戦で入木院又六戦死 島津忠恒、霧島社に高原郷蒲牟田村508石余を寄進
勅詔院、真言宗に改宗
 
1601 慶長6   11/26、宥淳、狭野社の再興・遷宮式を行う  
1602 慶長7 島津大膳亮、地頭となる 小林郷遊木俵門52石、狭野社に寄進  
1610 慶長15   宥淳、島津家久の命により、狭野原の旧地に祠廟を建立  
1612 慶長17 東霧島、高城領内となる 11/28、神徳院の宥賢、狭野社 御神体を鎮守社から狭野に移す  
1613 慶長18     霧島山噴火(〜1614)
1615 元和1   島津家久、蒲牟田村521石を霧島山に寄進  
1617 元和3     霧島山噴火(〜1618)
1624 寛永1   8/28、宥憲、神徳院住持となる  
1626 寛永3 伊東領内・庄内・川内・秋月領内等から移住者有り    
1629 寛永6 島津大膳亮家臣、飯野から移住する    
1630 寛永7 島津大膳亮、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 11/4、宥淳、狭野社の修理・遷宮式を行う  
1631 寛永8   2/26、神徳院住持の宥淳、逝去  
1632 寛永9 村田次郎左衛門、地頭となる
村田・田中・長濱等4名、穆佐から移住
   
1633 寛永10 一向宗取締りにより衆中20名減少    
1637 寛永14   2/29、野火により狭野社及び宝物が焼失  
1638 寛永15 鎌田源左衛門、地頭となる    
1639 寛永16 島津光久、藩内巡検のため花堂村田口十右衛門屋敷に宿泊    
1642 寛永19 宮田孝右衛門等、野尻から移住    
1644 正保1 竿入が行われる
地頭仮屋敷地に坂元寺本殿建立
   
1645 正保2   7/10、島津綱貴、神徳院に 自筆の竹絵を下賜  
1646 正保3 猿渡大炊介、地頭となる    
1647 正保4   宥岳、神徳院住持となる  
1653 承応2 相良主税、地頭となる    
1656 明暦2 島津美作守久成、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 12/23、宥憲、狭野社の修理・遷宮式を行う  
1657 明暦3 竿入が行われる相良吉右衛門、地頭となる    
1659 万治1     霧島山噴火
1660 万治2 一向宗取締りにより衆中4名減    
1665 寛文5   神徳院、東叡山輪王寺宮直末となる  
1666 寛文6 喜入休右衛門、地頭となる 島津光久、霧島東社に扁額を奉納  
1667 寛文7   12/29、神徳院住持の宥憲、逝去  
1668 寛文8   憲純、神徳院住持となる  
1669 寛文9 山田民部有祐、地頭となる    
1670 寛文10   神徳院、末寺を失う代わりに、東叡山寛永寺直末に確定  
1675 延宝3 平戸の橘三喜、錫杖院から鉾峰に登頂    
1676 延宝4   憲純、狭野社の修復を開始  
1677 延宝5 荒川内に馬次場設置    
1678 延宝6 山田民部、盛長を訴えようとする憲純に和睦を勧める 錫杖院の盛長、狭野の司と祓川の社人組織を編成  
1679 延宝7 山田民部、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 8/7、憲純、狭野社の修理・遷宮式を行う  
1680 延宝8 高原郷より前田・大牟田・縄瀬村を独立、高崎郷を新設
小林郷広原村・野尻郷水流村、高原郷に編入
   
1681 天和1 高原・高崎郷の境界線確定
高原郷より笛水・江平村を野尻郷に編入
   
1684 貞享1 若松彦兵衛、地頭となる    
1685 貞享2 この頃、無地頭    
1686 貞享3 種子島次郎右衛門、地頭となる    
1688 元禄1 喜入休右衛門、地頭となる    
1690 元禄3 この頃、無地頭    
1693 元禄6   神徳院の鐘楼建立  
1695 元禄8 鎌田采女、狭野社遷宮式に藩主名代として参列    
1696 元禄9 椛山権右衛門、地頭となる    
1702 元禄15   島津綱貴、神徳院・錫杖院に寄進  
1703 元禄16 椛山権右衛門逝去により無地頭    
1704 宝永1 4/6、高原衆中、白鳥社での東大寺大仏殿の材木運搬を加勢 信州善光寺阿弥陀如来勧進が来郷  
1705 宝永2 清水弥兵衛、地頭となる    
1706 宝永3 伊集院監物、狭野社遷宮式に藩主名代として参列
狭野原新田に竿入
1/28、憲純、狭野社の修理・遷宮式を行う
憲純、溝を掘り、狭野原に水を通す
 
1711 正徳1   8/10、神徳院住持の憲純、逝去  
1713 正徳3 左近允與太夫、地頭となる    
1714 正徳4   2/22、神徳院住持の宥貞、逝去
8/18、萬嶺、神徳院住持となる
 
1715 正徳5   徳永諸右衛門等、神徳院に灯籠を献上  
1716 享保1   9/25、噴火により神徳院・霧島東社焼失
12/28、噴火により錫杖院焼失
3〜8月、霧島山噴火
9/25、新燃岳噴火
12/28〜29、新燃岳大噴火
1717 享保2 噴火により高崎・水流・都城・小林・飯野・加久藤等へ避難
2〜3月、郷内各地で砂揚
噴火により諸社寺小林などに移る 1/3、新燃岳大噴火
1/7〜11、新燃岳大噴火
1718 享保3 市来勘左衛門、地頭となる 5/15、萬嶺、神徳院住持辞職し、円清、神徳院住持となる  
1719 享保4 この頃、避難先から郷内に戻る    
1720 享保5 衆中による砂揚 円清、狭野の旧地に仮宮を建立  
1721 享保6 この頃、小長野溝が出来る 2/5、狭野社、小林宝光院から遷宮狭野で社人による砂揚  
1723 享保8   狭野神楽に龍絵の緞帳が寄進される  
1724 享保9   4/8、森雲平、王寺権現社近くで田の神像を造立(町内最古の田の神像)  
1725 享保10   神徳院始め周辺寺家復興(〜1726)
坂元寺・水流村極楽寺再建
 
1726 享保11   島津継豊、霧島東社の社殿を再建  
1728 享保13 種子島春時、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 9/26、円清、狭野社の修理・遷宮式を行う  
1729 享保14   霧島岑社、夷守岳中腹に移転
神徳院住持の萬嶺、逝去
 
1730 享保15 伊集院仁左衛門、地頭となる    
1731 享保16 3月、四位左衛門、鹿児山に二十三夜碑を造立 円清、狭野原大山野の開発を藩に申請  
1732 享保17   狭野原大山野の開発が許可
広原村の前原仙教坊、王寺権現別当職を小林宝光院に譲渡
 
1733 享保18   水流村、檀方を極楽寺とする  
1734 享保19   円清、仁王像を造立  
1735 享保20   円清、護摩堂に弘法大師作の不動明王座像を招請  
1737 元文2   円清、本尊に阿弥陀如来座像を招請  
1743 寛保3   神徳院の旭威、狭野原の前野・大山野の領有権を藩に申請  
1746 延享3   神徳院、藩から狭野原の領有を許可  
1748 寛延1   1/19、神徳院住持の旭威、逝去  
1750 寛延3   狭野神楽の番付表が作成される
蒲牟田村で田の神座像造立
10/13、神徳院住持の円清、逝去
神徳院の宥盛、狭野原に新しい溝を通して新田を開発
 
1753 宝暦3 畠山喜藤二、地頭となる    
1761 宝暦11 島津内記、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 10/25、宥盛、狭野社の修理・遷宮式を行うこの頃、祓川神舞の女面作成  
1762 宝暦12   12/13、神徳院住持の宥盛、逝去  
1764 明和1 伊集院伊膳、地頭となる    
1769 明和6 石黒戸後左衛門、地頭となる
狭野の岩元氏、住居を建築
7月、彗星目撃(メシエ彗星)
  古御鉢噴火、後川内等に降灰
7/29、大風
9/28、大地震(小長野溝破損)
1771 明和8     7/20、古御鉢噴火
1773 安永2 薩摩国川辺郷より移住者有り(〜1786)    
1774 安永3   狭野社の日高長太夫、狭野神楽番付を確認して引き継ぐ
蒲牟田村鉾神社で庚申碑造立
 
1775 安永4 樺山物集女(助之進)、地頭となる    
1776 安永5 薩摩国川辺郷から55名移住(〜1786)    
1777 安永6   11/18、神徳院の憲応、狭野に四所宮を建立
狭野の岩元氏屋敷で庚申碑造立
狭野社の岩元佐太夫、寛延3年作成の神楽番付を改めて作成
 
1778 安永7   広原村福原で水神碑造立  
1779 安永8   広原村上平で馬頭観音造立  
1781 天明1   花堂村高松で庚申碑造立  
1782 天明2 伊勢久居の橘南谿、霧島山に登頂する 後川内村石ヶ野の高麗観音堂で灯籠造立  
1783 天明3 備中の古川古松軒、霧島山に登頂する    
1784 天明4 山之口の永田延寿印、蒲牟田村湯之元で温泉を発見
島津小平太、狭野社遷宮式に藩主名代として参列
憲応、狭野社の修理・遷宮式を行う
憲応、狭野社の切石石垣を新調
 
1793 寛政5   神徳院住持の憲応、逝去  
1798 寛政10 樺山物集女(助之進)、地頭となる    
1803 享和3   狭野社焼失、小林の宝光院に遷座  
1804 文化1 日高次右衛門、地頭となるが、病死により明所
大御番頭北郷作右衛門預かりとなる
大風により狭野社裏門大破
8/17、神徳院住持の良真、逝去
 
1806 文化3   狭野社、小林より旧地に復する  
1807 文化4   狭野社の裏門再建神徳院の良林、狭野原の前野水分の石畳を新調  
1811 文化8 平島平八、地頭となる
(その後再び明所)
   
1812 文化9 公儀天文方、郷内を測量
義岡久馬、地頭となる
島津重豪、後川内村に霞権現社建立
非常時に備え狭野社境内に仮宮を建立
7/14、神徳院住持の良林、逝去
 
1814 文化11   神徳院の良芳、狭野社の修理を開始
広原村福原で庚申碑造立
 
1815 文化12 町田勝兵衛、狭野社遷宮式に藩主名代として参列 9/15、良芳、狭野社の修理・遷宮式を行う
狭野社の石階段等が新調
 
1817 文化13 郷士年寄の甲斐両右衛門、仔細により徳之島に遠島処分となる    
1818 文政1 黒木市太夫・丸山小十郎、郷士年寄罷免日高次右衛門、地頭となる    
1819 文政2   狭野の馬頭観音修復  
1821 文政4 甲斐両右衛門、遠島赦免となる 義岡久馬の家族、狭野社に参詣 12/19、新燃岳噴火
1823 文政6 1/28〜3/19、竿入が水流村から後川内まで行われる 狭野社正祝子岩元内記・紺屋瀬戸口武右衛門、狭野神楽に番付表を寄進  
1824 文政7 地頭の義岡久馬、病死 この頃、苗代田祭の木牛作成  
1825 文政8 5/7、島津典禮、地頭となる    
1826 文政9   1/8、神徳院住持の智祐、逝去  
1828 文政11 長崎の木下逸雲、高千穂峰に登頂 9/4、神徳院住持の良芳、逝去  
1829 文政12   斎藤中衛妻、狭野神楽に装束を寄進  
1831 天保2 高原で宗門改め    
1832 天保3     干天・大風
1833 天保4 祓川郷士の黒木半右衛門、住居を建てる
永浜勘兵衛、「高原所系図」を作成
   
1835 天保6     大風により被害多数
1836 天保7   瀬戸口武右衛門、狭野神楽に幟を寄進  
1838 天保9   広原村八久保で田の神像造立  
1839 天保10 小長野溝普請着工    
1843 天保14 2/7、彗星目撃(Great March Comet)
6〜7月、牛の流行り病
7/5、坂元寺の外に水天神が祀られる 7月、大風により作物被害
1844 弘化1 広原郷士藤田長保の家僕由善坊、善行を称えられ、藩・地頭より褒賞を賜る   霧島山8合目で夜火目撃
1845 弘化2 藩主島津斉興、郷内を巡検 3/28、霧島東社に龍鱗寄進  
1846 弘化3   2/1、島津斉興、狭野神楽に金1貫748文を寄進
11/13、蒲牟田村宇都之前で社殿普請
 
1847 弘化4 11月中旬、小林城山・高原などに甘露が降る 1/20、宇都社の普請完了
4/11、神徳院住持の光盤、狭野社を宇都社へ遷宮する
6/19、神徳院住持の光盤、逝去
8/5、称全、神徳院住持となる
6/23〜24、大風雨により、小塚山・蒲牟田村に被害
1848 嘉永1 1/3、狭野原なら木山神で軍事調練実施
11/18、彗星目撃高千穂開田工事着工
   
1850 嘉永3 高千穂開田工事終了   8/7、大風により大被害
1851 嘉永4   狭野社人日高宮内、『剣之巻』を書写  
1852 嘉永5 12/1〜21、御用銭の所在を巡る騒動勃発    
1853 嘉永6 12/9、島津斉彬、郷内を巡検    
1854 安政1     11/5〜7、大地震により夷守岳の一部が崩壊
1855 安政2 8/1、福崎助八、地頭となる   3/15、御池異常減水
1857 安政4 12/14、花堂永浜家火災    
1858 安政5 8月、彗星目撃
 (Donati彗星)
島津矢柄、地頭となる
   
1860 万延1   広原村南川内で水神碑造立  
1861 文久1 5/25、彗星目撃(Tebbutt彗星)    
1862 文久2 2/7、人吉大火で焼失した文書等が飛来
8/3、彗星目撃
   
1863 文久3 7/3〜5、インドシナ艦隊侵攻に伴い出兵    
1864 元治1 10/5、名越左源太、小林・加久藤・飯野・須木・野尻・高原六ヶ郷居地頭となる 10/9、名越左源太、神徳院・錫杖院に参詣  
1865 慶応1     10/7、坂元寺山・宮田山などで猿を多数目撃
1866 慶応2 2月、坂本龍馬、高千穂 峰に登頂    
1867 慶応3 1/11、並木の移百姓甚太郎養女、牛子を出産
2月、小林居地頭の中原周助、逝去
3月、谷川十郎兵衛、小林居地頭となる
9月、谷川十郎兵衛、逝去。近藤七郎左衛門、小林居地頭となる
8/12、狭野社の岩元大和・日高右近・岩元兵庫、神道免状授与のため上洛
9月、花堂村の坂本寺・広原村の真源庵・麓の地蔵院・水流村の極楽寺、所領没収となる
 
1868 慶応4
明治1
8月〜、郷士、越後口の戦争に従軍 4/29、錫杖院廃寺、仏像焼却
閏4/3、神徳院廃寺、仏像破却
8/28,神徳院住持の称全、逝去
 
1869 明治2 1〜2月、戊辰戦争より帰国
高原学校、地蔵院跡に開設
8月、高原郷に諸郷常備隊設置
   
1870 明治3 10月、高原・高崎郷合併により、水流村は都城上庄内に、高城郷東霧島村・都城桑鶴村は高原郷へそれぞれ編入
9月、水流村の農民作兵衛夫妻・蒲牟田村の東伊左衛門、善行を称えられ石碑造立
東霧島社の勅詔院、廃寺  
1871 明治4 7月、廃藩置県により鹿児島県に所属
9/15、吉野での調練に常備隊参加
11月、九州諸県統廃合により都城県に所属
   
1872 明治5 2月、廃藩置県に伴い諸郷常備隊解散、戸長制度導入
8月、学制頒布により、地蔵院跡の高原学校が地頭仮屋跡に移転、高原小学校と改名
   
1873 明治6 1/1、田口長善、戸長となる
1月、都城・美々津県合併に伴い宮崎県に所属
2月、狭野小学校、前野に創設
5月、狭野神社、県社に列せられる
宮の宇都社、狭野神社に移転
 
1874 明治7 3月、後川内小学校、石ヶ野に創設
8月、広原小学校、八久保に創設
夷守神社社地に霧島岑神社移転、合祀して霧島岑神社となる  
1876 明治9 3月、地租改正に伴う検地
8月、宮崎廃県に伴い鹿児島県に所属
児湯郡三納代村の阿弥陀寺、出口地蔵院跡に移転(現遍照寺)  
1877 明治10 2/15、田口矢一郎、戸長を退任
7/14、政府軍、高原古城山周辺の薩軍を襲撃
7/17〜21、薩軍、高原の政府軍を襲撃
3/21、霧島東神社、官幣大社霧島神宮摂社に昇格  
1879 明治12 12月、副戸長の森山正十郎、高原城跡に西南戦争戦死者招魂碑を造立 狭野神社の境内の大部分が官有地になる  
1880 明治13   霧島岑神社、霧島神宮摂社となる 10/31、霧島東神社、霧島神宮摂社兼郷社に昇格  
1881 明治14 都城郡役所から瀬戸精心を迎えて戸長とする    
1883 明治16 5/9、宮崎県再設置に伴い、宮崎県に所属
6月、北諸県郡に所属
   
1884 明治17 1/26、新たに設置された西諸県郡に所属    
1887 明治20     5月、御鉢噴火
1888 明治21     5/9、御鉢噴火
1889 明治22 4/1、町村制施行に伴い、麓・後川内・蒲牟田・広原村が高原村となる
5/30、甲斐安、初代村長(〜1890.10.13)
  12/10・18、御鉢大噴火
1890 明治24 11/25、田口志朗、2代村長(〜1894.11.24)   6/19、御鉢噴火
11/10、御鉢噴火
1891 明治25 高原小学校尋常科・高等科設置が許可    
1892 明治26 宮崎県獣医学校開校    
1893 明治27 日清戦争に伴い17名出征   2/25、御鉢噴火
1894 明治28 11/26、田口志朗、3代村長(〜1895.4.17)   7/16、御鉢噴火
10/16、御鉢噴火、死者4名
12/18、御鉢噴火
1895 明治29 12/20、甲斐安、4代村長(〜1898.12.20)   3/15、御鉢噴火、登山者死傷
6/22・25〜26、御鉢噴火
12/21、御鉢噴火
1896 明治30     5/3、御鉢噴火
6/25、御鉢噴火
9/4、御鉢噴火
1897 明治31 軍馬補充部高原派出部設置   2/8、御鉢噴火
3/11、御鉢噴火
12/26〜30、御鉢噴火
1898 明治32 広原鷹巣原開墾   7/28、御鉢噴火
9/12、御鉢噴火
10/13、御鉢噴火
11/7、御鉢噴火
1899 明治33 1/13、黒木昌友、5代村長(〜1903.1.12)   2/16、御鉢噴火、死傷者5名
1900 明治34 狭野小学校、前野に移転    
1901 明治35 狭野小学校の校舎竣工    
1902 明治36     8/29、御鉢噴火
11/25、御鉢噴火
1903 明治37 1/18、黒木昌友、6代村長(〜1907.1.17)   2/2、広原小学校全焼
1904 明治38 日露戦争に137名出征    
1905 明治39 3/23、並木郵便局開局 4/13、狭野神社、宮崎神宮旧社殿の移築に着手  
1906 明治40 2/28、広原小学校新校舎竣工  4/1、鎮守神社、上馬場から城ノ下に移転
4/10、鹿児山の伊勢・水分の山社、上馬場の水神社、鎮守神社に合祀
5/18、宮崎神宮旧社殿移築完了
 
1907 明治41 1/25、黒木昌友、7代村長(〜1911.1.24)    
1909 明治43 9/23、忠霊丘に日清日露戦争記念碑・忠魂碑造立    
1910 明治44 高原で小作争議勃発    
1911 明治45 1/25、黒木昌友、8代村長(〜1913.11.12)
7月、高原青年団創立
   
1913 大正2 2月、御池に県水産試験場分場設置
5/11、高原駅開業
9月、日向水力発電所、
猿瀬に発電所を設立
5月、麓に摂護寺(後の光明寺)創建 5/19〜9/1、御鉢周辺で群発地震
11/8、御鉢噴火
12/9、御鉢噴火
1914 大正3 7/6、瀬戸口長通、9代村長(〜1915.8.25)
11/8、青島陥落祝勝提灯行列
この頃、村内の小作争議激化
  1/8、御鉢噴火
1915 大正4 9/14、宮田耕造、10代村長
11/18、村長の宮田耕造、病のため逝去
  7〜8月、霧島山周辺で群発地震
1916 大正5 3/6、猪俣連、11代村長(〜1920.3.5)    
1917 大正6 3/10、高原尋常小学校、現在地に移転    
1918 大正7 10/17、広原尋常小学校、現在地に移転
各尋常小学校に農業補修学校併設
   
1919 大正8 蒲牟田尋常小学校、狭野小学校に改称   5/15、狭野大火災、14戸延焼
1920 大正9 3/6、橋口源次、12代村長(〜1924.3.5)
5/11、宮崎県種畜場、並木に創設
   
1921 大正10 5/3、高原尋常小学校に皇太子行啓記念碑建立    
1922 大正11   3/20、駅前大火を記念して秋葉堂建立  
1923 大正12   5/20、久邇宮、狭野神社に参拝
10/10、鷹巣原開田成功を記念して田の神像建立
 
1924 大正13 3/6、永山千治、13代村長(〜1928.3.5)
3/18、高原校区処女会発足
12/9、狭野の杉並木、国天然記念物に指定 10/7、暴風雨により田畑家屋損害
1925 大正14 4/4、後川内尋常小学校に高等科設置
4月、高原青年団、県より謝状受領
秩父宮、高千穂峰登山
伏見宮、狭野神社に参拝
 
1926 昭和1      
1927 昭和2 村内に電話架設    
1928 昭和3 3/6、野村嘉久馬、14代村長(〜1931.8.26)    
1929 昭和4      
1930 昭和5 高原村婦人連合会結成
後川内尋常小学校、現在地に移転
高原校区処女会、女子青年団に改称
   
1931 昭和6 9/30、野村嘉久馬、初代町長(〜1935.9.9) 7/18、山下の宮田神社・花堂の高松水神社に合祀
7/22、小岩屋の佐衛神社・大迫の山神社・越の猿田彦神社、霞神社に合祀
 
1932 昭和7 経済更正村に指定    
1933 昭和8 狭野尋常小学校、現在地に移転    
1934 昭和9 10/5、町制施行に伴い、高原町と改称
9/30、役場庁舎竣工
10/15、町制祝賀会・役場落成式開催
5/1、狭野神社の仏法僧繁殖地、国天然記念物に指定
9/29、霧島東神社、県社に昇格
霧島国立公園に指定
新燃岳火口湖の水が濁り、ガス噴出
凶作
1935 昭和10 9/30、野村嘉久馬、2代町長(〜1939.9.12)
国勢調査実施
高原で陸軍特別大演習開催
梨本宮、皇子原・御池を訪問
高原郷土史刊行
 
1936 昭和11 7/25、高原尋常小学校の講堂竣工    
1937 昭和12 独駐日大使代表のラインホルツ・シュルツェ、高原の祖国振兵隊を視察    
1938 昭和13 12/22、祖国振興隊結成    
1939 昭和14 9/28、野村嘉久馬、3代町長(〜1942.4.8)    
1940 昭和15 辻の堂川の堤防完成木場谷で耕耘機導入 狭野神社の社務所建立  
1941 昭和16 4/1、高原尋常小学校、高原国民学校に改称    
1942 昭和17 5/15、野村嘉久馬、4代町長(〜1946.4.2)    
1943 昭和18 この頃、祖国振興隊により後川内農道造成
宮崎銀行小林支店高原出張所開設
   
1944 昭和19 9/2、沖縄県那覇市より学童集団疎開(158名) 3/1、光明寺創建
12/15、高原町古墳、県史跡に指定
 
1945 昭和20 4月、歩兵第14連隊が移駐    
1946 昭和21 6/24、東政吉、5代町長(〜1947.2.14)
疎開学童、沖縄に戻る
   
1947 昭和22 4/1、高原国民学校、高原小学校に改称
4/5、今西周助、6代町長(〜1951.4.2)
5/3、新憲法発布施行記念式典
   
1948 昭和23 3/8、高原警察署開設    
1949 昭和24      
1950 昭和25 4/8、常盤台分校開設
後川内中学校独立開設
町立病院開院
広原郵便局開設
上水道事業開始
祓川の田の神盗難
(オットイタノカン
 
1951 昭和26 4/28、北迫栄吉、7代町長(〜1955.4.30)    
1952 昭和27 6/1、高原小学校校舎本館落成
8/16、農協婦人部結成
高原畜産高校設置
  昭和9年以来の凶作
1953 昭和28 4/10、高原畜産高校入学式開催    
1954 昭和29 町制20周年記念式典開催    
1955 昭和30 5/1、高妻彦衛、8代町長(〜1957.9.12)
広原簡易水道給水開始
   
1956 昭和31      
1957 昭和32 10/15、西川嘉次、9代町長(〜1961.10.14) 12/1、狭野神楽保存会結成  
1958 昭和33   4/1、祓川神楽保存会結成 11/19、大浪池で噴気確認
1959 昭和34 2/7、高原畜産高校新校舎竣工
御池キャンプ村開村
野村嘉久馬、名誉町民に選定
  2/17、新燃岳噴火
1960 昭和35 高原町社会福祉協議会結成
狭野で開田整備
高原町商工会設立
   
1961 昭和36 10/15、西川嘉次、10代町長(〜1965.10.14)    
1962 昭和37     増水で三福神橋流失
1963 昭和38      
1964 昭和39 町制施行30周年記念で町民歌・高原音頭制定
町民体育館竣工
霧島国立公園に屋久島地区が加えられ、霧屋久国立公園と改称  
1965 昭和40 10/15、西川嘉次、11代町長(〜1969.10.14)    
1966 昭和41 4/1、常盤台分校、高原小学校より独立    
1967 昭和42 町立病院本館・高原中学校校舎改築    
1968 昭和43 広原小学校・狭野小学校体育館竣工後川内中学校舎改築   2/21、えびの大地震
増水で湯之崎橋流失
1969 昭和44 10/15、西川嘉次、12代町長(〜1973.10.14)
狭野保育所開設
4/1、祓川神楽、県無形民俗文化財に指定  
1970 昭和45 中央公民館・養護老人ホーム開設    
1971 昭和46 7/28、西諸広域行政事務組合業務開始
狭野児童館・後川内保育所開設
  8/5、手洗温泉附近で小規模水蒸気爆発・地すべり
1972 昭和47 霧島東神社の南参道開通
狭野の老人福祉館開設
御池近辺、野鳥の森に指定 集中豪雨により蒲牟田川氾濫
1973 昭和48 4/1、常盤台小学校、高原小学校に統合
10/15、今西周助、13代町長(〜1977.10.14)
町役場、現在地に移転
町木・鳥・花を制定
2/23、祓川の黒木家住宅、国重要有形文化財に指定  
1974 昭和49 11/15、高原小学校で創立100周年記念式典
11月、高原農協、小林地区農協に合併
母子健康センター・広原保育所開設
12/4、祓川神楽、国選択重要無形民俗文化財に指定  
1975 昭和50      
1976 昭和51 宮崎自動車道えびの〜高原間開通
霧島美化センター竣工
   
1977 昭和52 10/15、横田修、14代町長(〜1981.10.14)    
1978 昭和53      
1979 昭和54 5/7、高原小学校図書館に蓮太郎文庫設置
10月、宮崎国体炬火リレー開催
   
1980 昭和55      
1981 昭和56 10/15、横田修、15代町長(〜1985.10.14)
宮崎自動車道高原〜都城間開通
  12月、新燃岳第6噴気孔の温度上昇
(〜1982.5)
1982 昭和57   村上恩、『狭野杉物語』を刊行  
1983 昭和58 7/11、狭野小学校みどりの少年団結成 2/8、苗代田祭、町無形文化財に指定  
1984 昭和59 3月、高原小学校体育館竣工 10/5、町制施行50周年記念式典開催町民憲章を制定 高原町史刊行  
1985 昭和60 10/15、横田修、16代町長(〜1989.10.14)
旧役場庁舎解体
   
1986 昭和61   12/1、狭野神楽、町無形文化財に指定  
1987 昭和62 5/23、ブラジルのイビウーナ市長来町
西独スポーツ少年団との国際交流
   
1988 昭和63 高齢者工芸センター・花堂村おこしセンター開設    
1989 平成1 10/15、横田修、17代町長(〜1993.10.14)
置村100周年記念式典開催
全国優良町として表彰フルリレーマラソンで世界記録達成
   
1990 平成2 5/18、養護老人ホーム峰寿園完成神武太鼓創設
第1回神武の里総合武道大会開催
   
1991 平成3     11/13、新燃岳臨時火山情報発令
1992 平成4 高原畜産高校、高原高校に改称
文部省生涯学習モデル市町村に指定
   
1993 平成5 4/27、皇子原公園オープン記念式典開催
10/15、横田修、18代町長(〜1997.10.14)
  台風による大災害、蒲牟田橋流失
1994 平成6 10/5、町制施行60周年記念式典開催
神武大橋竣工
   
1995 平成7 教育文化ゾーン造成    
1996 平成8 7月、たかはる清流らんど開園
蒲牟田橋災害復旧完了
   
1997 平成9 10/15、朝比奈紀行、19代町長(〜2001.10.14)
高原中学校新校舎竣工
   
1998 平成10 5月、高原町女性団体連絡協議会発足 4/1、日守古墳・狭野棒踊り・池之原庚申碑、町無形文化財に指定  
1999 平成11

3月、宮崎フリーウェイ工業団地完成

10/5、町制施行65周年記念式典開催
湯之元地区ほ場整備事業完了

9/27、苗代田祭、県無形民俗文化財に指定
狭野杉400周年記念式典開催
 
2000 平成12 高原ライオンズクラブ30周年記念式典開催
高原駅全面改装、記念式典開催
   
2001 平成13 10/15、朝比奈紀行、20代町長(〜2005.10.14)
総合保健福祉センター「ほほえみ館」開設
狭野地区ほ場整備事業に着手
   
2002 平成14 蒲牟田活性化センター竣工
高原中学校、韓国大川中学校と姉妹校結縁
   
2003 平成15 ほほえみ館「神武ホール」竣工
ひむか神話街道開通
4/26、狭野神楽、県無形民俗文化財に指定  
2004 平成16 2月、Jリーグセレッソ大阪、高原でキャンプ実施
7月、第12回大淀川サミット開催
10/5、町制施行70周年記念式典開催
   
2005 平成17 Jリーグ(J2)ザスパ草津、高原で春季キャンプ開催
 西広原活性化センター完成 5月、花堂区集落営農組合設立
第1回後川内夏祭り開催(20数年ぶりに復活)  
2006 平成18      
2007 平成19      
2008 平成20  農事組合法人「はなどう」設立    
2009 平成21  農事組合法人「はなどう」、農産物直売所「杜の穂倉」を開設    
2010 平成22

3/26、湯之元土地改良区、第51回全国土地改良者表彰を受章

4月、常盤台活性化センター・南狭野活性化センター完成

4/18、高原ライオンズクラブ記念式典開催

4/20、宮崎県内で口蹄疫発生に伴い、防疫体制を強化

8/27、口蹄疫終息宣言に伴い、消毒ポイントを閉鎖

9/14、霧島ジオパークが日本ジオパークに認定

1/24、祓川神楽、宮崎県総合博物館民家園「旧黒木家住宅」で公演

 3/11、祓川神楽と狭野神楽、「高原の神舞」として、国重要無形民俗文化財に指定

 
2011 平成23    4/1、狭野神社の神楽面、町文化財に指定  
2012 平成24

 3/28、宮城県山元町の山下フレンズバレーボールスポーツ少年団、来町

4/17、県立高原高校と農事組合法人はなどうが農業実習で連携

7/1、高原町情報局「たかはる神武スタジオ」開局

10/17、狭野神社で浅野温子さんの古事記読み語り会開催

   
2013 平成25    
お問い合わせ先
教育総務課 社会教育係
電話番号 : 0984-42-2111(内線414・415)
メールアドレス : kyousou@town.takaharu.lg.jp